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センゴク一統記 1巻に登場した人物

センゴク一統記

「センゴク一統記」は宮下英樹が描く仙石秀久を主役にした漫画です。

センゴク一統記(1) (ヤングマガジンコミックス)

センゴク一統記(1) (ヤングマガジンコミックス)

物語は天正10年(1582年)3月。織田家と毛利家との本格的な戦いに入り、備中高松城までの前哨戦にあたる境目七城の一つ冠山城の戦い(かんむりやまじょうのたたかい)から始まる。

3月25日、伊賀衆の力を借りた仙石秀久は冠山城を陥落させる。羽柴秀吉は、黒田勘兵衛や石田佐吉らと境目七城最難関の備中高松城を攻め落とすための計略を立てていた。

一方、遠江国では武田崩れからの織田信長の帰還を迎えるために、徳川家康が川に橋を通し道を整備していた。信長はこのまま急激に天下統一を成し遂げてしまうと経済破綻つまりは高転びしてしまう可能性を家康に話す。

安土城への帰陣途中の4月19日天下統一を目前に信長は尾張国 久昌寺に亡室吉乃の方(お類)の墓参りをする。4月21日、安土城へ帰陣。4月25日、秀吉からの冠山城を陥落せしめたとの知らせが安土城へ届く。

5月6日、朝廷からの使者・勧修寺晴豊が信長へ征夷大将軍・太政大臣・関白のうちどれかに任官することを勧めにきた*1が、信長は返事を留保して使者を帰す。

5月7日、黒田勘兵衛は備中高松城攻めの戦略として水責めすることにすることを秀吉とその寄騎らへ説明。中国方面軍は着々と備中高松城攻略の手筈を整えていた。

5月15日、徳川家康が駿河国加増の礼と甲州征伐の戦勝祝いのために安土城へ到着する。接待役には明智光秀が担当していた。

センゴク一統記 1巻に登場した人物をリストアップしました。

人物(登場順)

仙石権兵衛秀久(せんごく ごんべえ ひでひさ)

本作における主人公。天正10年の時点で31歳、石高は1万石。

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萩原孫太郎国秀(はぎわら まごたろう くにひで)

権兵衛の叔父の一門。

津田杉ノ坊妙算(つだ すぎのぼう みょうさん)

根来衆のひとりだったが、仙石家の家臣となっている。

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神子田半左衛門尉正治(みこだ はんざえもんのじょう まさはる)

羽柴秀吉 寄騎。秀吉の天下統一支えた功績からのちに羽柴四天王と呼ばれる。

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尾藤甚右衛門知宣(びとう じんえもん とものぶ)

羽柴秀吉 寄騎。秀吉の天下統一支えた功績からのちに羽柴四天王と呼ばれる。

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黒田官兵衛孝高(くろだ かんべえ よしたか)

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石田佐吉(いしだ さきち)

のちの石田治部少輔三成。

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蜂須賀小六正勝(はちすか ころく まさかつ)

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羽柴小一郎秀長(はしば こいちろう ひでなが)

兄の秀吉と共に備中高松城の戦いに従軍。

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杉原七郎左衛門家次(すぎはら しちろうざえもん いえつぐ)

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浅野弥兵衛長吉(あさの やべえ ながよし)

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羽柴筑前守秀吉(はしば ちくぜんのかみ ひでよし)

織田軍 中国方面軍司令官。

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柴田修理亮勝家(しばた しゅうりのすけ いえかつ)

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明智日向守光秀(あけち ひゅうがのかみ みつひで)

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丹羽五郎左衛門長秀(にわ ごろうざえもん ながひで)

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滝川左近将監一益(たきがわ さこんしょうげん かずます)

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宇喜多忠家(うきた ただいえ)

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小栗仁右衛門吉忠(おぐり にえもん よしただ)

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徳川三河守家康(とくがわ みかわのかみ いえやす)

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浅井六介道忠(あさい ろくすけ みちただ)

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織田弾正忠信長(おだ だんじょうのちゅう のぶなが)

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織田信孝(おだ のぶたか)

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堀久太郎秀政(ほり きゅうたろう ひでまさ)

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勧修寺晴豊(かじゅうじ はれとみ)

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大御乳人(おおおちのひと)

大御乳人は特定の人物を指す言葉ではなく貴人の乳母を指す。

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上臈の局(じょうろうのつぼね)

本文中では前関白・二条家の女と書かれている。上臈の局と呼ばれた三条冬子のことではないようだ。

木下牛助(きのした ぎゅうすけ)

本文中では毛利方 三村親成家臣と書かれている。

天正10年木下牛助は備中高松城攻めの際に羽柴陣へ夜討ちをし、三村親成からそのことを賞する感状を受け取っている。その感状は岡山県立博物館に現存している。

間島氏勝(まじま うじかつ)

播磨国衆。センゴクでは仙石家の一同を淡路へ船で送り届ける役として登場している。

間島氏勝については、こちらの研究が詳しい。

*1:史実ではどちらが要望したのかについて晴豊公記の解釈を巡って三職推任問題が発生している